母になるとき

Sep 27, 2020

妊娠に気がついたのは、2020年2月の頭。
世界中を震撼させているコロナが蔓延する前、
友人に会うため群馬から東京へ出かけた時のことだった。

その日友人は、「子供ができたんだよ〜!」と私に報告をしてくれた。
「本当におめでとう!!今日は無理せず、ゆっくり過ごそうか」
なんて言いながら、1日を過ごしていた。

私自身も、時期的に「もしかしたら?」という思いがあったので
「もし私も授かっていたら、同い年ベビーだね!」なんて話もしていた。
夕方ごろ、私自身もなんとなく体が重いかも?少し気分も悪いな、、なんて感じだした。
友人に伝えると
「超初期の検査薬もあるから試してみる?」という話に。

まさかね?とは思ったものの、友人の言葉に背中を押され試してみる事にした。
そしてその日、ほんのかすかに縦線の入った検査薬を見て
新しい命が自分の体の中に宿っていることを知るのであった。

その日、彼女と会う約束をし
お互いに愛する人との子供をおなかに授かりながら、ゆっくりとした時間を過ごせたのは偶然のようで奇跡のような時間だった。
一生忘れることのない特別な日となった。

少し気が早いかな?と思ったけれど、帰り道に有楽町のみどりの窓口でマタニティーマークをもらった。
そして、そっとハンドバックの持ち手の部分に。
キーホルダーに書かれた「おなかに赤ちゃんがいます」という文字をなんども見つめながら、出張中の主人にLINEをした。
彼は、「めちゃくちゃ嬉しい!!!人生で一番うれしい!!」と何度も喜びの連絡をくれた。

数日後、産婦人科に電話をし状況を伝えると
「では明日来れますか??」とのことだったので会社にも事情を伝え、病院に行く事に。
産院の中は、陽だまりでポカポカしていて、ふんわりと赤ちゃんの匂いが心地よかった。

その日はまだ、エコーではっきりと赤ちゃんの姿が見えなかったが1週間後には赤ちゃんが育つための袋がはっきり見え、その2週間後には袋の中に豆粒のような赤ちゃんの姿がはっきりと見えた。トクトクと動く心拍に思わず「わ〜!」と微笑んでしまった。

2月の下旬(6週の後半)ごろからなんとなく、だるくて胃がムカムカしているような気がした。たこ焼き・レモン水・堅あげポテトが無性に食べたい。
実際に食べ始めるとたくさんは食べられない。

3月に入ると、本格的に吐きつわり・食べづわりが始まった。
日によって体調がいい日と悪い日にムラがある。
しんどくなったら横になる、それ以外の時間は何とか最低限の家事をしたり
晩御飯の買い物に出かけたりしていた。

そして3月といえば、コロナがあっという間に世界中に広まり
4月には緊急事態宣言が発令。
私にとっては、もともと病院と最寄りのスーパー以外、体がしんどくて外出ができなかったこの期間。
世界中の人がSTAY HOMEで耐えている時期ではあったが、みんなが自宅に居ると思うとなんだか少し心細さが軽減された。

東京に緊急事態宣言が発令されて、主人と私の勤め先の会社もフルリモートでの働き方にシフトする事に。
私自身、もともとは週3日東京へ通勤をしていたが、
体調にムラがあったのと、コロナのこともあってお休みをもらう事になった。

主人は仕事の合間に様子を見に来てくれる。
「大丈夫?何か食べれそうなものはある?」
彼のそんな言葉ひとつがあるだけで、本当に救われた。

私自身恥ずかしながら、妊娠して初めて知ることがたくさんあった。

妊婦さんやご出産の経験がある方には当たり前の事かもしれないが
赤ちゃんの成長の進行具合を
1ヶ月単位ではなく1週間ごとに数えられている事にびっくりした。

だいたい5~6週目(妊娠二ヶ月目の中盤から後半)でつわりが始まり
9~11週でつわりがピークを迎える。(※個人差あり)
というように、ママの状態も1週間ごとに徐々に変化していく。

私の場合は毎週日曜日になると週数が更新されるので
日曜日の朝は「今日で○週になりました〜!」「おめでとう〜!!」なんて会話が習慣に。

妊娠16週(5ヶ月)を迎えると「安定期」に入ることもはじめて知った。
その名の通り、体調が徐々に安定してくる。
胎盤がしっかりと出来上がって、その胎盤を通じて赤ちゃんにしっかりと栄養がいくようになる。
安定期に入って初めの戌の日に安産祈願にいくのももちろんはじめて。
久々に外に出て、神社の神聖な空気を吸って家族の健康とお腹の子の成長を願う。何だかとても嬉しかった。


つわりの気持ち悪さや喉や胸が焼けたような感覚になる症状から徐々に解放され、少しずつ体力も回復してきた。
16週〜27週の妊娠中期(5ヶ月〜7ヶ月)の約3ヶ月間は
本当に快適に過ごせていたがコロナの影響で、旅行などにも出かけられずにいた。

安定期を迎えたとはいえ、健康でちゃんと生まれてきてくれるまでは
本当に何があるかわからないし、自分の食べたものや行動が我が子の健康に直結するという所で、常に不安を感じていた。
検診に行って、先生に「順調に大きくなっていますね!」と言ってもらえると
バブが褒めてもらえているようですごく嬉しかった。

妊娠19週(5ヶ月の後半)ごろには性別がわかると言われているけれど
「私はまだわからないな〜女の子かな〜?」と7ヶ月ごろまではっきりとしたことは言われなかった。
そのうち性別のことには何も触れられなくなった。
私自身も元気で生まれてきてくれればもうそれで十分!!と思っていたのであえて確認はしなかった。


何をするにも「コロナの影響で」が付きまとって主人も結局一度も検診を一緒に受けられず。
当初予定していた里帰り出産も検討し直すべきかいなかでとても迷ってしまった。

これも妊娠して初めて知ったのだが、
妊娠がわかったらまず出産する予定の産院を決め、分娩予約をするということ。
気が早いのでは?と思っていたが、人気の産院はすぐに埋まってしまうらしい。
(LDRのような最新式の設備が整っていたり、産後にエステマッサージや豪勢なお祝い御膳などでもてなしてくれるようなところもあるようで)


その事実を割と遅い段階で知ったのですが、
どちらにしても、コロナで他県への移動制限などがあったので
予約をできる産院も限られてしまっていた。

群馬で通っていた産院の分娩予約の期限も過ぎてしまっていたし
群馬から実家のある愛知県までかなり距離があるので、今後孫に会えるのは恐らく年に2・3回。
せめて初孫だけでも生まれたてホヤホヤの姿を見せてあげたいと考えていた。

結局、里帰りをし実家の近くにある古くからある産婦人科で産むことにした。
遅くとも34週(9ヵ月)には里帰り先の病院で受診するように言われていたが、
コロナの影響で2週間は実家で自宅待機をしなくてはいけなくて、少し早めではあるが、8月には実家に帰ることに。

住み慣れた群馬の自宅、主人との2人の時間を離れるのがとても寂しかった。
特に特別なことをする訳ではないけれどこの時間をできるだけ大切にしよう!と決め、徐々に大きくなるおなかに愛おしさを感じながらなんでもない日々を過ごした。

休日になると、主人はドライブに連れて行ってくれた。
人の密集をなるべく避け、テイクアウトしたハンバーガーを車の中で頬張りながら、見晴らしのいい山へ。綺麗な空気を吸って、リフレッシュさせてくれた。

体調のいい日は、里帰りから帰ってきた時にスムーズに過ごせるように
ちょこちょこ休みながら部屋を整えたりもした。

そうこうしているうちに、あっという間に8月はやってきてしまった。
里帰りをしつつ、マタニティーフォトを撮ってもらうために岐阜に。
長旅ということもあり、その日はホテルに宿泊をすることにした。

久々に旅行気分を味わうことができた。
マタニティーフォトは、撮影する予定は全くなかったのだが、
ひょんなことがキッカケで撮影をしてもらう事に。
本当にいい記念になったのでこれはまた別の機会にアップすることとしよう。

撮影を終えると、岐阜から実家に。
ずっと彼と一緒にいられた時間がとてつもなく貴重に思える。

群馬の家にいる祖父母のことや家事も全て主人に託し、私ひとりこちらに来て本当に良かったのか?
これから会いに来てもらうにも時間とお金がかかる。
主人に負担をかけ過ぎていないかなど、いろんなことを考えてしまった。

彼と離れる時には、思わずポロポロと涙が溢れ出てきた。

これから数ヶ月間は、実家で実父母にお世話になるのだから
いつまでもウジウジしていちゃダメだ!
と自分に言い聞かせた。

日に日に大きくなるお腹。
はじめは作れていた夕御飯も、臨月(36週)を迎えた頃から徐々に立っているのがしんどくて、家族の支えに甘えきってしまう日々。

そして、2週間に一度群馬から車で会いにきてくれる主人。
自分は本当に恵まれているな〜と。またウルウル。
妊婦はこんなにも涙もろくなるものなのか。

初めておなかの中の命に気が付いた日から約10ヵ月。
いつ生まれてきても大丈夫な時期(正期産)を迎えた。
一心同体でいられるのもあと少し。
この数週間で、私は母になる。

主人は父に、両親は祖父母に。
ひとつの命が誕生することで、いろんな人の続柄が変わる。

この数ヶ月で、間違いなく私は強くなった。
そして母になった時、さらに強くなるのだと思う。
出産の痛みも、育ての苦しみもまだ何が起こるのか想像もできないけれど
きっと母親にしてもらえた事を、我が子に感謝するのだろう。

愛する人との大切ないのちが無事産まれて来てくれる事をいまはただ、祈る毎日。

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